会社概要

会社名株式会社アイチ
本社所在地大阪府高石市取石2-40-25
┗ 堺店・祭館大阪府堺市中区毛穴町119-1
TEL:(072)273-6067/FAX:(072)275-1402
┗ 外商部TEL:(072)273-8793/FAX:(072)275-1422
┗ ネット事業部TEL:(072)284-7113/FAX:(072)284-7231
創業1959年4月
資本金1,000万円
代表取締役古澤  清(1979.8.15生)
従業員数グループ全体21名
所属団体堺商工会議所、神戸商工会議所 会員 
高石商工会議所、青年部 会員 
(一社)堺高石青年会議所 2016年度理事長 
豊友経営研究会 和歌山支部所属 
日本青年会議所 物販部会 初代部会長 
大阪府西堺警察署協議会委員 
自衛隊信太山駐屯地 絆支部役員 
日本JCセネターズクラブ 常任幹事
ASPAC Senetor BOD
主要取引先官公庁・各企業・学校関係・お祭り用品販売店・一般小売客・神社仏閣
事業部店舗営業部、外商部、ネット部、ワーク三栄法人営業部
営業品目ユニフォーム・軍手・作業服・作業用品・安全用品・衛生用品の販売、
イベント用品・お祭り用品販売・ノベルティ制作・お土産品企画開発・刺繍・プリントの加工
会社名有限会社ワーク三栄
所在地兵庫県神戸市灘区六甲町5-1-15
TEL:(078)871-2040/FAX:(078)891-3073
創業1953年
資本金300万円

堺店

1982年に作業服店としてオープンしました。 

常に最新の商品の取り扱いを心がけており、高機能な空調ウェアや、高品質な安全スニーカー、デザイン性の高いカジュアル作業服を中心に、圧倒的な品ぞろえが特徴の店舗として地域の皆様にご愛顧いただいております。

また、店舗横には「あいち祭館」を併設しておりますので、一年中お祭り用品を購入していただく事ができます。 

お祭り用品販売では、ズボン型股引やお祭り足袋をはじめ、お祭り用品の圧倒的な品揃えとお祭りに詳しいスタッフの接客により、どなたでも安心してお買い物をしていただけるよう親切丁寧にご対応させていただきます。 

業界で唯一、ご家庭でご不要になったズボン股引き、お祭り足袋、胸当ての買取り・リサイクル販売を行っております。 

店長
加納 譲二

外商部

2002年に設立しました。堺店の店舗2階に事務所がございます。 
法人のお客様より、売掛、配達、発送、営業に来て欲しい等のお声を頂き、機動力をもって、作業服・作業用品からお祭り用品まで、様々なニーズに「親切 丁寧 喜んで」の精神でご対応させて頂いております。 
また、有限会社ワーク三栄に一部の営業委託も行っております。 

部長
一ツ松 真由美

ネット部

「日本全国のお祭りをサポートします!」のコンセプトで、2010年に立ち上げました。 
自社サイト、楽天市場、YAHOOショップで、24時間いつでもご購入頂けます。ECサイトを見て、日本全国から堺店の祭館へご来店頂いております。 
作業服からお祭り用品まで、幅広く品揃えがございます。 

部長
谷 規秀

ワーク三栄

神戸市灘区が所在地となり、1954年創業の法人の事業譲渡を受け、2023年6月にアイチグループとなると同時に小売から営業の形態へ転換しております。 
株式会社アイチの営業委託を受け、エンドユーザー様へ作業服、ユニフォーム、ノベルティグッズ等の営業を行っております。 
さらには、宗教法人様へお土産品の企画開発、お土産品のオリジナルお菓子の開発等を行っております。 

代表取締役
古澤 清

代表者挨拶

代表取締役の古澤清と申します。 
2002年に代表取締役に就任し3代目となります。 
アイチグループは、1959年に高石して創業しております。今日に至るまで、オイルショック、平成不況、リーマンショック、コロナショックを乗り越え「世界へ羽ばたく日本一のお祭り企業」を目指しております。 

創業当時からの軍手、作業服、安全用品等の物販に加え、SDGsの観点から地域の神事やお祭り・イベントが創り出す、人と人の繋がり、街の賑わい、人や街が成長する事と、伝統文化を継承し発展させていく事を、私たちの使命としております。 

2009年に制定した、経営理念である「和を以って 共に育ち 共に栄える」をアイチグループの最高判断基準と位置付け、経営にはいつの時代も「人の心」が真ん中にあります。スタッフの皆様、お客様、協力業者様と共に、社会へお役立ちし続ける覚悟で経営を行って参ります。 

2024年8月吉日

アイチグループ
株式会社アイチ
有限会社ワーク三栄
代表取締役 古澤清

創業当時

創業1959年。
愛知県蒲郡市出身の父、道治が大阪府高石市にて、愛知手袋の屋号で軍手の製造卸を開業致しました。 
当時は母、美枝子と家内工業として半自動の手袋編み機で、朝から晩まで製造して20ダース程の生産量でした。 
父、道治が自転車で近隣工場などへ行商していました。 
10人(5男5女)の子宝に恵まれ、毎日がお祭り騒ぎの様な生活空間となり、家族総出で、製造、家事、育児をこなす毎日でした。